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人生の数


今年、2022年の11月に、地球の人口が80億人を越えるそうです。


不思議ですね。


この地球に80億の人がいるにもかかわらず


1つとして同じ人生は存在しません。


80億人もいたら1つぐらい人生がかぶることがあっても良さそうです。


けれどそうではありません。


80億人いたら、かぶることなく80億通りの人生が展開されます。


たとえ双子であったとしても、その人生は決して同じではありません。


世界は80億通りの人生を過不足なく用意してくれています。



すべての人生がその人だけのオリジナルです。


その人にしか生きることのできないたった一つの人生です。




そして


人生の数は80億に留まりません。


これまでの人類の歴史を考えれば一体幾つの人生があったことでしょう。


想像することさえ及びません。


にも関わらず


今あなたが生きている人生は、これまでにあった数える事もできないほどの無数の人生のどれとも違っているのです。




今、あなたが生きている人生は


これまでの人類の歴史の中で1回たりとも生きられたことのない前人未到の人生です。


そして


今、あなたが生きている人生は


これからどれだけ人類の歴史が続こうと、決して繰り返されることのない、誰も真似することのできないあなただけの人生です。




つまらない人生など、あるはずがありません。



















15:21 | つれづれ | edit | page top↑

生きる意味③



日々、世界で起こる様々な出来事は

いわば

世界から出題されている「お題」「テーマ」です。

「このお題を通じて、あなたは世界のどんな可能性を掘り起こし、そして描き出しますか?」

という

世界からの問いかけ

です。


あなたは世界からの「問いかけ」に

どう応えますか?






13:04 | つれづれ | edit | page top↑

生きる意味②


「世界」と「自分の人生」とは全くの別物で

「世界」の中でちっぽけな「自分の人生」は営まれている

「自分の人生」は終わっても、知らん顔して「世界」は続いて行く

そう思っているかもしれません。


しかしそうではありません。


実際には、あなたにとっては「あなたの生きている世界」しかありません。

もし「あなたのいない世界」があるとするならば

それは

「あなたにとっての【あなたのいない世界】がある」

ということ

「【あなたのいない世界】というあなたの世界がある」

ということ

つまりそれもまた「あなたの生きている世界」…ということです。

そして

「あなたの生きている世界」はあなたにしか創れない

「あなたの生きている世界」は、あなたが表現主であり創造主なのです。


あなたの生きている世界を、あなたはどう表現し描きますか?






12:59 | つれづれ | edit | page top↑

生きる意味①



人生とは

世界の秘めている可能性を引き出し掘り起こし輝かせるための触媒のことです。

1つとして同じ歩みの人生はありません。

それぞれの人生が

「その人生を通してしか描くことのできない世界」

を表現しています。


あなたは今、あなたにしかできない描き方で世界の可能性を掘り起こし、そして表現しています。

それはあなたにしかできないこと。

これまで描かれることのなかった「あなた」という世界の可能性を表現し、描き切ってください。

それがあなたの生きる意味。

そして

人生の意味

です。





12:52 | つれづれ | edit | page top↑

完全と不完全


あなたがあなたである時

あなたはどこにもいません

100%のあなたは0%のあなたです




これは理解を求める文章ではなく

ただの事実の記述です




もし完全があるとして

しかしながら

完全は完全を知りません




もし不完全があるとして

しかしながら

不完全は不完全を知りません




もし誰かが完全であることを知っているとしたならば

それは事実ではありません

空想された完全です




もし誰かが不完全であることを知っているとしたならば

それもまた事実ではありません

空想された不完全です






14:41 | つれづれ | edit | page top↑

異常心理


以前、ある曹洞宗の僧侶の方とお話している際

「"私"が無いとか、無我とか、そういったものは異常心理だ。」

とおっしゃった事がありました。




そうおっしゃるという事は、その方は

「"私"は在る("私"は居る)」

と思っておられるという事であり

また

「"私"は在る("私"は居る)」

と思うことこそが正常な心理だ

という事なのでしょう。




ただ、その方の「"私"は居る」と言う際の「私」が何を指しての事なのか

身体を指しての事なのか、心理作用を指しての事なのか、記憶を指しての事なのかは不明のままでした。

「私」が身体の事でもなく、心理作用の事でもなく、記憶の事でもないのは少しでも調べてみればすぐ明らかになることです。




もしかしたら

何を「私」と呼んでいるのか不明のままに

「これこそが"私"」と呼べるものが何処にも無いままに

「"私"は在る("私"は居る)」

と頑なに思い込んでおられたのかもしれません。




どこにも無い「自分」を在る、在ると当たり前に思い込んでいる状態こそが、実は

異常心理

なのではないでしょうか?




あなたはどうですか?







14:43 | つれづれ | edit | page top↑

新年度を迎えて


約十日間続いた春のお彼岸参りも終わり、ようやく日常が戻ってきました。

ただ‥‥

世間の「日常」の様子はこのひと月で大きく変わってしまいました。

新型コロナウィルスの感染拡大は今のところ終息の予兆どころか、衰える予兆もまだ見えていません。




そんな中

今世界で起こっているのは

普段私達が気付かないようにしている事

目を逸らしている事

そんな事実に目を向けさせられているのかもしれません。




地震や災害であれば

自分の住む地域が被災地でない限り

それはまだ何処か「対岸の火事」として心理的に距離が取れる、遠ざけることができます。

「大変なことが起こった」とは言いながら、援助する側、ボランティアする側に自分を置くことができます。

心理的に自分を安心・安全な場所に置くことができます。




しかしながら

いま日本で、世界で起こっていることは

全員が「当事者」です。

「当事者」であることから逃れられる人はいません。

誰も自分だけを安全な場所に置くことはできません。

皆等しく感染の脅威に晒されています。




それが意味することは‥‥

いつだって私たちは「生老病死」に晒されているということ。

いつだって私たちは「無常」という地面の上に暮らしているということ。

「守られた確固たる安全な場所」などどこにも無いということ。




このような事実に普段は「日常」というフタをして気づかないように暮らしています。

無常が突きつける不安から目を逸らし、いつ死んでもおかしくない自分という存在に気付かないふりをしながら。




今、世界中で起こっていることは

私達に等しく与えられている「生老病死」という縁にどう向き合うかの試練なのかもしれません。

普段意識することの無い「無常」という現実にどう向き合うかの学びの場を与えられているのかもしれません。

この学びの場をただ不安に脅かされ恐れて過ごすだけではもったいな過ぎます。

この難局を各々がこれからの人生に活かせる学びの時間、修行の時間にする必要があるのではないでしょうか?





16:23 | つれづれ | edit | page top↑

阪神淡路大震災の記憶 その3



震災当時、長田小学校でボランティア活動をしながらそこに避難しておられた方々と2週間日々お話しをしたとは言いながら

避難しておられた方々全員と言葉を交わせたわけではありません。

ですので、ここから先はある程度の憶測を交えながらの話になるのですが




避難しておられた方のうち、教室から中々外に出ることができなかった方々

そういった方々と言葉を交わしていると

「この震災で家族を失った、家も壊れた、職場も無くなった‥‥

全てを失った‥‥

これから先、何をしていいのか分からない

どうしたらいいのか皆目分からない‥‥

これからのことを考えると不安で不安で仕方ない‥‥」

そういった言葉を聞くことが多かったような気がします。

もちろん、家族を失い、家や仕事を失い、茫然自失の状態に陥るのは自然なことでもあります。

大切な人を失った‥‥その厳しい現実を受け止めるにはあまりにキツ過ぎて動けなくなることはあって当然のことでもあります。

ただ、その時の私には

これから先のことをあまりにも考え過ぎて

その考え過ぎることによって生み出されたご自身の不安感にご自身が押し潰されて

結果、身動きが取れなくなっておられる‥‥

そのように見えたのでした。




対して

私たちと一緒に動いてくださった方々と言葉を交わしてみると

「この震災で家族を失った、家も壊れた、職場も無くなった‥‥

でも、あれこれ先のことを考えていても仕方がない。

とにかく今できることをやるしかない。

今目の前のことを一つ一つやって行くしかない。」

そのような反応が返ってくることが多かったような気がします。

考えれば考えるほど次々に生み出される不安の方にではなく

どんな些細なことでもいいから今できること、今目の前のことに気持ちを向けることで再びご自身に動きを取り戻して行く。

そのような姿勢の方が給水活動や炊き出しのお手伝いをして下さっていた印象があります。




もちろん

すでに25年前の一個人の印象ですから間違っているのかもしれません。

しかしながら




人は、考える事によって自分自身が作り出した不安感に自分自身が押し潰されて動けなくなってしまう‥‥

対して

どんな些細なことであっても、今できること、今目の前のことに実際に取り組んで動き出せば

その動きは必ず次の動きに結びついてゆく。

動きそれ自体が次の展開、次なる動きを連れてくる。




その時のこのような印象は、その後の私の人生に大きく影響を与え続けているものでもあります。










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☆ 令和2年 2月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」


2月9日、16日、23日の
朝 6:45~7:30




「日曜坐禅会」

2月 2日(日曜日) 午後1時半より




「古鏡の会坐禅会」

2月 18日(火曜日) 午後1時より



上記の日程以外で坐禅会をご希望の方は、お寺までご希望の日程をお問い合わせください。



  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 



15:17 | つれづれ | edit | page top↑

阪神淡路大震災の記憶 その2



さて、私たちは神戸市役所の担当者の方から

「長田区の長田小学校に行き、給水活動と炊き出しに従事してくれ」

との依頼を受けて長田小学校に向かいました。

長田区と言えば一番被害の大きかった区です。

向かう途中も私たちは様々な惨状を目にすることになりました。

長田小学校は3~4階ほどの鉄筋の建物であったこともあり、幸いにして倒壊をま逃れていました。

多くの被災者の方々が避難しておられ、各教室はどこも人で一杯です。

そして神戸市役所で見かけたように、避難してこられた方々は家族で固まり、あるいは横になり、ひつそりと過ごしておられました。

私たちは長田小学校を拠点にしてまずは給水活動に従事しました。

トラックの荷台に巨大なポリタンクを積み込み近くの消防署で水を満タンにして

近隣の集合住宅地、あるいは階層のアパートなどに出向き、持ち寄られるバケツやヤカン、ペットポトルに水を満たしていきます。

年配の方でアパートの上層に住む方であればそこまでバケツを運ぶお手伝いをすることもありました。

消防署と住宅街の往復を何度も何度も繰り返していたものです。

そして小学校に帰れば今度は炊き出しの準備です。

小学校には給食室があったので、その設備を使って炊き出しをしていました。

幸いにして食材が足りないということはなかったように記憶しています。

その代わり、シメられたばかりの鶏の羽毛を焼くなど加工される前の食材をナマで解体していくという貴重な経験もさせてもらえましたが‥‥




そのように慌ただしい日々を送っていく中、少し気にかかる現象が起こり始めました。

避難しておられる被災者の方々の中でも

避難当初と変わらず一日中教室の中で横になったり座り込んだりジッとしておられる方々と

給水活動や炊き出しをする私たちの手伝いを申し出てくださる方々、つまりボランティアのボランティアをして下さる方々と

2つのグループに別れ始めたのです。




もちろん、数にすれば手伝いをしてくださる方の数が圧倒的に少なかったのですが

それでも日を追うごとに少しずつながら一緒に動いてくださる方の数は増えていきました。




境遇としては同じです。

皆さん被災され、大変な思いをして着の身着のまま避難してこられた方々です。

ご家族を失われた方、家を失われた方、仕事を失われた方‥‥

そういった方々の中で

動ける方と、動けない方と、その差、その違いは何に起因するのだろう?

そういったことが気に掛かり始めたのでした。

(続きます)








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☆ 令和2年 2月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」


2月9日、16日、23日の
朝 6:45~7:30




「日曜坐禅会」

2月 2日(日曜日) 午後1時半より




「古鏡の会坐禅会」

2月 18日(火曜日) 午後1時より



上記の日程以外で坐禅会をご希望の方は、お寺までご希望の日程をお問い合わせください。



  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 



12:13 | つれづれ | edit | page top↑

阪神淡路大震災の記憶 その1




先だっての1月17日、阪神淡路大震災から25年が経ったというニュースが流れていました。

あの時に誕生された方が今や25歳の社会人になっておられることになりますね。

あれからもう25年が経ったのだな‥‥という感慨が湧くと同時に

あの震災で大きく人生が変わられた方々も多くおられるのだろうな‥‥という思いも湧いてきました。




私はあの震災の時、福岡県の専門僧堂に在籍していました。

17日のニュースで神戸がとんでもない事になっていると知り

責任者の指揮のもとボランティアグループを編成し、19日の夜には4tトラックで福岡を出発し

20日朝未明に神戸市内に入ったと記憶しています。

下道を通って入った神戸の街は瓦礫の山。

高速道路の橋桁は倒れ、沢山のビルが倒壊していました。





まずは情報を集めようと神戸市役所を目指しました。

市役所に着くと、1階フロアーはびっしり荷物で埋め尽くされていました。

「早い!もう救援物資が届いてるんだ!それだけ日本中が親身になってくれているんだな‥‥」

と思ってよくよく見たら

それは荷物ではなく、毛布にくるまりうずくまっておられる被災者の方々でした。

本当に「身じろぎ一つしない」とはよく言ったもので、全く動きがなかったので荷物と見間違えたのでした。




人は、あまりにも圧倒的な想定外のことが起こった時、自分のキャパを越える出来事に直面した時、

電気のブレーカーが落ちるように動けなくなってしまうのだな‥‥ということをその時初めて知ったものです。


(つづく)







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☆ 令和2年 2月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」


2月9日、16日、23日の
朝 6:45~7:30




「日曜坐禅会」

2月 2日(日曜日) 午後1時半より




「古鏡の会坐禅会」

2月 18日(火曜日) 午後1時より



上記の日程以外で坐禅会をご希望の方は、お寺までご希望の日程をお問い合わせください。



  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 



14:38 | つれづれ | edit | page top↑

会話



ある方との対話です。




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ご存知と思いますが

大切な方の死という「出来事そのもの」と

その出来事によって引き起こされた「〇〇さんの思い・感情」と

これは別物ですよね☺️



で、

私達は「出来事そのもの」よりも

出来事によって引き起こされた「自分自身の思い・感情」

(それは不安であったり、怒りであったり、悲しみであったり、抑うつであったりしますが)

を感じることを、自分自身で恐れ、拒絶してしまいがちです。




繰り返しになりますが

「出来事そのもの」ではなく

「出来事によって引き起こされた自分の感情」

それを感じることを自分で恐れている、拒否している

そういう側面があります。

自分で自分を邪魔にしている

自分で自分を拒絶している

ということですね😅

これはもちろん自分自身に葛藤💥をもたらします。




自分の感情(それがどんな感情であれ)と戦わないんです。

自分の感情に自分自身が染まる事を拒絶しないんです。




例えば私たち

嬉しい時、楽しい時

嬉しいという感情、楽しいという感情を感じることを拒絶したり、拒否したりしないので
それらの感情はなんの葛藤も起こさず通り過ぎていきます😊




でも、不安や恐怖、悲しみは、つい私たちそれらの感情を感じることを拒絶・拒否してしまうので

それらの感情は感じてもらえるまで自分の中に残り続けます。

つまり葛藤を生み出しちゃうんです。




「私の感情」から「私」が離れようとしている。

でもそれは不可能です。

私が私から離れることなんで出来ません。

出来ないことをやろうとするから苦しみが生じます。




どうか大事な方を失った悲しみにきれいに染まってあげてください。

するとその悲しみは成仏してくれます。






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☆ 平成30年 10月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」


10月14日、28日の
朝 6:45~7:30

(21日はお寺の行事のため
お休みとさせていただきます)



「日曜坐禅会」


10月7日(日曜日) 午後1時半より



「古鏡の会坐禅会」

10月30日(火曜日) 午後1時より



  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 





16:15 | つれづれ | edit | page top↑

栄宗寺盆踊り

昨日17日は、栄宗寺千灯明の盆踊りでした。



地域の方々が栄宗寺の境内で盆踊りを踊って下さいました。



小さいお子さんもお父さんお母さんと一緒に、見様見真似で盆踊り。



この千灯明の盆踊りが終わると、夏の行事も一段落ついたなぁ、という感じです。

踊り子さんの皆様本当にお疲れ様でした。





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☆ 平成29年 8月の坐禅会 ☆


「日曜早朝坐禅会」


8月19日、26日
朝 6:45~7:30


「日曜坐禅会」


8月はお盆参りのためお休みさせて頂きます。
 

(次回の日曜坐禅会は、9月2日となります。)   
  

「古鏡の会坐禅会」

8月28日 (火) 午後1時より


   

  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料



(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 



08:56 | つれづれ | edit | page top↑

お地蔵様の前掛け



お檀家様が手縫いのお地蔵様前掛けを寄贈してくださいました。



六地蔵さまの前掛けまで手縫いで寄贈してくださいました。

ただただ、頭が下がります。

暑い中、本当にありがとうございます。

これでお地蔵様も日焼けせず夏を過ごされることでしょう。






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☆ 平成29年 8月の坐禅会 ☆


「日曜早朝坐禅会」


8月19日、26日
朝 6:45~7:30


「日曜坐禅会」


8月はお盆参りのためお休みさせて頂きます。
 

(次回の日曜坐禅会は、9月2日となります。)   
  

「古鏡の会坐禅会」

8月28日 (火) 午後1時より


   

  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料



(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 



16:54 | つれづれ | edit | page top↑

問題の所在


私たちは

「私の願いを叶えるにはどうすればいいか?」

「私の欲望を満たすにはどうすればいいか?」


ということに思いを巡らします。

これまでに幾度となく同じ問いを繰り返してこられたのではないでしょうか?

その都度、叶えたい願いの内容、満たしたい欲望の対象は違っていたでしょう。

そして、

願いを叶えたこともあったでしょう。

欲望を満たしたこともあったでしょう。

けれどそれでもまた

新たな願いを叶えるために、

新たな欲望を満たすために

「どうすればいいか?」

の問いを繰り返しておられるのではないでしょうか?






仏教は

「願いを叶えたがっている”私”とは何か?」

「欲望を満たしたがっている”私”とは何か?」

という方に目を向けます。

なぜなら、問題は常に「私」だからです。


「”私”とは何か?」

そこが問題の所在です。










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☆ 平成29年 11月の坐禅会 ☆
  
  「日曜早朝坐禅会」

     11月12日、19日、26日、の 
     朝 6:45~7:30



  「日曜坐禅会」

     11月 5日 (日) 午後1時半より
      


  「古鏡の会坐禅会」
   
     11月21日 (火) 午後1時半より



場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 



11:26 | つれづれ | edit | page top↑

争いの終焉


外なる争いを治めようとする前に

まず、

内なる争いを終焉させること。

それが、世界の平和を実現させる一番の近道です。




内なる争いが治まっていない状態が

外なる争いの火種になっています。




内なる争いが終焉すれば

内も外も同時消滅です。











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☆ 平成29年 4月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」


4月9日、16日、30日の朝 6:45~7:30

(23日の早朝坐禅会は
法務のためお休みにさせていただきます)




「日曜坐禅会」


4月2日(日曜日) 午後1時半より



「古鏡の会坐禅会」

4月19日(水曜日) 午後1時より



  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 


13:23 | つれづれ | edit | page top↑

仏教離れ



自戒の意を込めての文章ですが。




よく、「仏教離れ」ということを耳にします。

和尚さん、お坊さんの口からも

「今の人たちは、仏教を信じていない」

「法要を大切にしていない」

という

最近の人たちの仏教離れ

を嘆く声を聞くことがあります。





でも

最初に「仏教離れ」をしているのは

他ならぬお坊さんかもしれません。





自分が大事にしていないものを、

他人が大事にしてくれるはずがありません。




他の人にも大事にして欲しければ、

まず、自分が大事にしてみせなくてはなりません。





何よりも、お坊さん自身が

仏法を大事に、大切にして見せる必要があるのかもしれません。

仏法を体現して見せる必要があるのかもしれません。







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☆ 平成28年 1月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」


1月17日、24日、31日の
朝 6:45~7:30



「日曜坐禅会」


1月10日(日曜日) 午後1時30分より
(1月3日ではありません。ご注意ください。)



「古鏡の会坐禅会」

1月20日(水曜日) 午後1時より
1月25日(月曜日) 午後1時より
1月26日(火曜日) 午後1時より



  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 








10:26 | つれづれ | edit | page top↑

何があっても大丈夫?



Aさんは、精神世界の本を読んだりセミナーに出席したりして、そこで得た知識をもとに

「人生何があっても大丈夫」と言っています。



Bさんは、そんなAさんの言葉を聞いて

「"人生何があっても大丈夫"だなんてありえるなずがない」と言っています。



実は

AさんとBさん、言っていることは正反対ですが、

お互いにそのような発言を通じて達成しようとしているのは

「慣れ親しんだ自分の世界を守り、安心を得ようとすること」

です。




Aさんは「人生、何があっても大丈夫」と言って

自分の世界を守ろうとし、安心を得ようとしています。

Bさんは「"人生、何があっても大丈夫"だなんてありえるなずがない」と言って

自分の世界を守ろうとし、安心を得ようとしています。



Aさんも、Bさんも、目的は

「慣れ親しんだ自分の世界を守り、安心を得ること」です。



しかしながら

本当の問題は、「慣れ親しんだ自分の世界を守り、安心を得よう」といている

その「自分」とは何か、ということではないでしょうか?




「もともと自分はいない」と言ってみても、そう言って安心しようとしている「自分」が明らかになっていない。

常に納得を求め、安心を得ようとしている「自分」とは何なのか。






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☆ 平成27年 5月の坐禅会 ☆




「日曜早朝坐禅会」


5月10日、17日、24日、31日の

朝 6:45~7:30



「日曜坐禅会」


5月3日(日曜日) 午後1時30分より



「古鏡の会坐禅会」

5月20日(水曜日) 午後1時より
5月21日(木曜日) 午後1時より




  場所 : 栄宗寺坐禅堂

  参加費 : 無料


(初めて参加を希望される方は、事前に栄宗寺http://eisouji.web.fc2.com/までご連絡ください) 


21:18 | つれづれ | edit | page top↑

自己証明


私たちの生は、自己証明の連続です。

自分には何ができ、どういう存在かを常に証明しようとしています。

では、誰に向かって自己証明しようとしているのでしょう?



自分自身に対してです。



「私は世の中に必要とされている人間だろうか?」

「私の人生には意味があるのだろうか?」

「私という人間は価値ある存在だろうか?」

などなど。



それらを誰あろう自分に対して証明しようとしているのです。

自分に対して自己証明できないと、不安でたまらないのです。

なぜなら

自分が何者か分からないからです。

自分自身に確信がないからです。

「私とは誰か」を知らないからです。

だから、日々、延々と自分に対する自己証明を続けているのです。

逆に言えば

それ程までに、私たちは自分自身を知りたがっているのです。



あなたは、自己証明のゲームを続けなければ、あなた自身が失われてしまうかのような感覚を覚えます。

しかし

あなたの本性は、虚空であり沈黙です。

虚空・沈黙は、誰の承認も必要としません。

虚空・沈黙が失われることは決してありません。

虚空・沈黙を壊すことは不可能です。

虚空が虚空であることに、沈黙が沈黙であることに、なんの証明も必要ありません。

あなたは、あなたの本性である虚空・沈黙に、ただ寛げばいいのです。




06:56 | つれづれ | edit | page top↑

桜の園



最近、お手伝いに伺っている

博多の明光寺専門僧堂さまの桜です。



散った桜の花びらが、

雪のように吹き溜まっていました。





昨晩の雨にも関わらず、

まだまだ花が残っています。








20:13 | つれづれ | edit | page top↑

夕暮れの桜並木



ここ北九州は、今が桜の見頃です。



夕暮れ時の桜並木を歩いてみました。





暮れ行く街に白く浮かび上がる桜が、

不思議に心を酔わせます。






19:51 | つれづれ | edit | page top↑